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アントニオ猪木の「訪朝」がバカにできない理由 [時事]

32回目の訪朝に旅立ったアントニオ猪木氏。ネットでは批判の声があふれているが、猪木氏は北朝鮮出身の力道山とともに、かの国の記念切手になったこともあるほど人気のある人物だ。むしろ、果敢に相手の懐に飛び込むやり方が、戦争回避に役立つかもしれない。(ノンフィクションライター 窪田順生)
オヤジギャグを言い放って訪朝へアントニオ猪木氏は愚か者か?
「包丁1本さらしに巻いて旅へ出る…という歌でしたが、32回目の訪朝をして参ります」――。
 参議院外交防衛委員会でそんなオヤジギャグを披露して、信じられないほどスベっていたアントニオ猪木氏が昨日、北朝鮮へ渡った。
 9月9日の建国記念日にまたミサイルを飛ばすのでは、という憶測が広がっている中での訪朝に、ネット上では「せっかく国際社会で圧力をかけようと呼びかけているのに足並みを乱すようなことをするな」とか「こんな時期に行ったら北朝鮮の思うように利用されてしまうのでは」というような批判的な声があふれている。
 たしかに、これまでも北朝鮮は日米韓が連携して圧力をかけると、個々の国に対話路線をちらつかせるという「分断工作」をおこなってきた。挑発から対話姿勢を見せて、圧力をかわしたい北朝鮮からすれば、32回もやってきている「親朝派」である猪木氏は利用価値が高いのは言うまでもない。
 菅義偉官房長官が「全ての国民に北朝鮮への渡航の自粛を要請している。この政府の方針を踏まえ、適切に対応すべきだ」と訪朝を見送るように求めたにもかかわらず、聞く耳を持たない猪木氏に対しては「政治家失格だ」というような厳しいバッシングも聞こえてくる。
 そのような意見はわからないでもないが、個人的には猪木氏の「訪朝」は言われているほど愚かな行為とは思えない。むしろ、一触即発という緊張関係が高まっている今だからこそ、猪木氏のような「北朝鮮と友好関係を築こう」という人の出番だと期待している。
湾岸戦争では日本人人質の救出も!プロレス外交の功績の数々
 若い人からすると、「元気ですかぁ!」と叫んでビンタをするおじさんのイメージが強いだろうが、実は猪木氏はプロレスラーとして世界的名声がある。それを生かして、普通の政治家がパイプをつくることさえできぬ国に乗り込んで「対話」をするという、「闘魂外交」をおこなってきた実績があるのだ。
 たとえば、昨年亡くなったキューバのフィデル・カストロ前議長と猪木氏は、1990年に会談をして以来交流を続けた。最初の会談時は、西側諸国の政治家と会うのは8年ぶりということで世界的にも大きなニュースとなった。
 昭和天皇が崩御した際、キューバは1週間、半旗を掲げ続けたという。日本は、キューバにとって敵対するアメリカの同盟国。かつ、遠い異国であるにもかかわらず、ここまで親しみを持ってくれたのは、政治家・アントニオ猪木の影響も少なからずあったことは言うでもない。
 湾岸戦争時は、イラクで日本人46人が人質となったのだが、その際にサダム・フセイン大統領(当時)と交渉をして、彼らを全員救出したのは外務省でも時の政府でもなく、猪木氏だった。
 なぜそんなことができたのかというと、猪木氏がイスラム世界では、日本人が想像している以上に人気があるからだ。
 イスラムの英雄、モハメド・アリと引き分けたということはもちろん、アクラム・ペールワンというパキスタンの国民的人気を誇る格闘家を「セメントマッチ」で倒したことも大きい。これをきっかけに猪木氏はパキスタン国王に祝福され、後に「猪木記念日」までつくられたのだ。
猪木氏イベントの視聴率は95%!?北朝鮮でも絶大な人気を誇る
 猪木人気は北朝鮮でも同様だ。北朝鮮が誇る故国のスター・力道山の愛弟子ということで猪木氏の好感度は高く、1995年には力道山とともに、記念切手になった。本当かどうか確かめようがないが、当時放送された猪木氏のプロレスイベント「平和の祭典」は、あちらでは視聴率95%だったという。
 そんなスターを、北朝鮮も手厚くもてなす。処刑された張成沢氏や、金永日氏など、トップクラスの人物が猪木氏と会食をしてきた。その人脈は各国も注目し、95年には韓国政府が対北コメ支援のメッセージを猪木氏に託したこともある。
 だが、猪木氏は、日本ではかなり冷ややかに見られているようだ。ご本人は、こう語っている。
「訪朝するたびに、外国の政府関係者から問い合わせがありますが、残念ながら日本政府からは何の接触もありません」(週刊朝日2014年1月31日)
 政治討論番組に出演して国家天下を論じたり、選挙区の駅前で「対話ガー」「圧力ガー」と喉を枯らしたりというのも議員の立派な仕事かもしれないが、猪木氏のように、とにかく相手の懐に飛び込んで対話をしてくる、という議員がいてもいいのではないか。
 ただ、このような「実績」もさることながら、筆者がこのタイミングでの猪木氏の「訪朝」に期待する最大の理由は、これまでよりも明らかに「バッシング」が増えてきているからだ。
 歴史を振り返ると、国全体が「戦争」という国威発揚イベントで興奮状態になっている時というのは、国民からバッシングされるくらいの行動をしている人の方が、実は戦争回避のために尽力をしている、というケースが圧倒的に多い。
戦前、愛国マスコミに叩かれても戦争回避に動いた朝河貫一
 たとえば、戦前の日本で初めてイェール大学の教授となった朝河貫一という歴史学者がいる。
 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)の報告書に名前が出て一躍、注目を集めた人物なのでご存じの方も多いと思うが、日米開戦直前に、ルーズベルト米大統領から昭和天皇へ親書を送らせようと、当時の日本政府とは関係なく個人で奔走した人物である。
 自ら草案を書いて、友人で、ワシントンに顔がきくハーバード大学美術館のウォーナー東洋部長に託した。結局、朝河の草案がそのまま採用されることはなかったが、ルーズベルトは親書を天皇に送った。しかし、時すでに遅しで、届いたのは真珠湾攻撃の直前だった。
 そんな朝河を「朝日新聞」では「祖国が平和を諦めた中で、朝河は1人闘う」(2015年4月2日)なんて調子で、戦争回避のために単身働きかけたヒーローのように扱っているが、実は戦前は朝河を敵国のスパイのように扱っていた。
 日露戦争で勝利した日本では、ロシアからバンバン賠償金を取れ、朝鮮半島の権益をぶんどるべきだという世論があふれ返っていたが、朝河は、「日本は金や領土のためではなく、アジア解放という大義のために戦ったのだから、そんなものを要求してはならない」と説いてまわった。
 それを当時は「愛国マスコミ」の急先鋒だった「大阪朝日新聞」(1905年10月30日)が、いけすかない奴だとディスっている。横浜市立大学の矢吹晋名誉教授があるセミナーで、そのあたりの「悪口」の説明をされているので、引用させていただこう。
《「朝河貫一と呼べる人なり、此の人イェール大学を卒業し、目下、米国某学校に於いて東洋政治部の講師として聘せられ居るものなり。名刺にはドクトル及び教諭と記し、日本人に語るにも日本語を用いず、必ず英語を以てす。此の人、ポーツマスに来たり、日々ホテル・ウェントウォースに在りて、多くの白人に接し、頻りに平和條約の條件に就て説明をなしつつあり。英文にて記せる朝河貫一なる文字とその肩書きの立派なるよりほかは知らざる白人は…」との書き出しで、学校の講師で安月給のくせに、1日に5ドルのホテル代を払って、ここにいるのははなはだ疑わしい、誰の回し者だという書き方です》(日本海海戦100周年記念歴史セミナー「世界を変えた日露戦争」より 2005年5月28日)
 猪木氏が訪朝するたびに、「北朝鮮の手先か」とか「北朝鮮に媚びを売っている」といたるところでディスられているのと、ほとんど変わらないのではないだろうか。
猪木氏が批判されても訪朝を繰り返す理由
 猪木氏は、批判されても訪朝を繰り返す理由をこのように述べている。
「おれが言いたいのは、ドアを閉め切る外交というのが世界中どこにあるのかということです。話し合いもしないで、どうして解決するんですか(中略)制裁をかけたら『ごめんなさい』と言うほど、相手は甘くない」(週刊朝日2010年11月12日)
 もちろん、北朝鮮の核を認めてまずは話し合おうなんてのは論外だ。政府は強硬な姿勢をとるべきで、もし猪木氏が閣僚であれば、勝手なスタンドプレーは許されることではない。しかし、幸いというか、猪木氏は無所属議員に過ぎない。これまで長い時間をかけて培ってきた北朝鮮との信頼関係もある。そんな猪木ルートまで断絶して、話し合いの道をすべて閉ざすことで、この問題を解決できるとは思えない。
「朝日新聞」にディスられた朝河はくじけることなく、「反省ある愛国心」を説き続けた。
 中国大陸で権益を拡大する日本を批判。当初の志である清帝国の独立や領土保全、列国民の機会均等のために、さっさと中国から撤退すべきだと訴えた。そんな国益に反することを唱える人物が、日本に圧力をかける米国の大統領に働きかけ、畏れ多くも天皇へ親書を送ろうと奔走する。その時代の「愛国者」たちからすれば、大ヒンシュクもののスタンドプレーだったことは言うまでもない。
「アメリカの回し者」だと白い目で見られていた朝河が、70年経ってガラッと変わって英雄とされているように、猪木氏の訪朝もいつか評価される時代がくるのではないか。


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