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家族の軌跡~ダウン症の次男との10年 (4・完)母の“舞台” [時事]

大村由実(52)が自宅の一角に設けている「えほん文庫」の開館日には、大勢の家族が訪れる。定期的に開くママ会やイベントは、母親や子どもたちの憩いの場。「ここでたくさんの人たちと知り合い、交流が生まれた。ダウン症の剛輝を授かったからこそ」

 文庫は次男剛輝(10)を妊娠する直前に構想した。芝居を演じるために買い集めていた絵本を貸し出そうと、出産から3カ月後にオープン。今月で10周年を迎えた。

 15年前、由実は育児に専念するため、劇団を辞めた。長女真由帆(18)は当時3歳。長男晃央(15)を妊娠し、せりふを覚える余裕がなくなったからだ。

 衆目を集める演劇の舞台を降り、「自らの存在価値を見失った」。代わりに娘に夢を託そうとした。「ピアニストにしたい」「バレリーナになれるかな」。毎日、習い事へ通わせた。

 10年前、剛輝が生まれた。「障害のある子がどうしてうちに」。答えのない問いを繰り返した。家族は障害を気にしていなかったが、「家族に申し訳ないことをした」と思い詰めた。

 わだかまりの矛先は、真由帆と晃央に向かった。飲み物をこぼしただけでもいら立ち、きつい言葉で叱り付けた。しばらくして、真由帆は不登校になった。

 「私と向き合って」「私に期待しないで」。娘の声は、今でも耳に焼き付いている。「なんて駄目な母親なんだろう」。由実はますます自分を責めた。

 真由帆が立ち直り、高校へ進学した直後、夫の昌良(58)が失業した。再就職先が見つからない日々。家族が殺伐としていた時、支えとなったのがえほん文庫だった。

 オープンから1年の節目に、剛輝とともに新聞で紹介され、障害のある子の家族が訪ねてくるようになった。「もし剛輝がいなかったら、その複雑な胸の内を明かしてはくれなかっただろう」

 文庫の存在は口コミやメディアを通じて徐々に広がり、ブログのアクセス数は日に100人を超えるまでに。人の輪が広がるにつれて、「ダウン症の息子と私がここにいる意味」を確信した。

 再就職を諦めて起業した昌良は今年、金融機関が主催するビジネスプランコンテストで最優秀賞を取った。4月、家族総出で授賞式に出掛けた。壇上で夫は言った。「次男を特別支援学校に送り迎えしていた時にヒントをもらいました」。由実は初耳だった。うれしかった。1人背負い続けた家族への後ろめたさを、その一言が拭い去った。

 晃央は小学1年から相撲を始め、6年の時には県大会で優勝した。来春、市外の高校へ進学し、相撲を続けるつもりだ。「もしダウン症じゃなかったら、2人で一緒に稽古に通いたかった。剛輝の障害に対して思うことがあるとすれば、ただそれだけ」と話し、新聞に取り上げられることに釈然としていない。「俺たちは普通の家族で、特別じゃない」

 それでも由実は今、こう受け止めている。「剛輝は、家族一人一人の力を引き出してくれた。5人は互いに刺激し合い、支え合える家族に成長した」

 文庫には、障害のある子を授かったばかりの母親からも電話がかかってくる。10年前の自分のように絶望し、「人生終わった」と思っている人がいたら、こう伝えたい。「ここが始まりなんですよ」(完)
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家族の軌跡~ダウン症の次男との10年 (3)父の起業 [時事]

10年前、ダウン症の次男剛輝(ごうき)が生まれてから、父の大村昌良=当時(48)=は毎日、午後8時には帰宅した。大手企業の半導体開発エンジニアとして、それまでは深夜まで残業する日々だった。

 妻の由実=同(42)=は、わが子に障害があることを受け入れられず、精神的に追い詰められているようだった。「突然気が変になって家族のことを忘れてしまうのでは。あっちの世界へ行ってしまうのでは」。昌良は気が気でなかった。

 小学2年の長女真由帆や年中園児の長男晃央(あきひろ)と比べ、剛輝は筋力が弱く、血流や排便を促すマッサージが欠かせなかった。発達も遅い。「親としてできることは何でもしたい。少しでもこの子のためになるなら」。将来上手に運動ができるようにと、手足の屈伸もした。

 その経験が“第二の人生”につながるとは、知るよしもない。毎日が必死だった。

 真由帆が中学に行かず不安定だった2013年3月、管理職として県外への転勤が避けられなくなり、辞めた。真由帆だけでなく剛輝にも手が掛かる時期に、単身赴任などできなかった。

 いったん近くの会社に就職し、娘の高校進学が決まったのを見届けて、好待遇の栃木県の会社へ移った。ところが一転、会社は業績不振となり、15年6月に解雇された。

 半年にわたって120社にエントリーしたが、面接に呼ばれたのは4社。定年間近を理由に断られたのを機に「もう会社勤めはせず、やりたいことをやろう」と決めた。

 失業保険の打ち切りが迫る中、同年12月、東京で開かれていた国際ロボット博覧会へ出掛けてひらめいた。「化繊の糸とセンサーワイヤを織り交ぜ、触れる物の固さや強さを計測できる布を作れないか」。開発には、エンジニアの経験も、趣味のプログラミングも生かせる。

 織布の用途を考えた時、剛輝の級友たちが浮かんだ。失業後は毎日、浜松視覚特別支援学校へ送り迎えしていた。そこで、手足が不自由な子どもたちに会い、剛輝をマッサージしていた頃を思い出した。指の曲げ伸ばしに励む子と、懸命に支える親。家庭での級友たちの姿を想像した。「彼らのリハビリの手助けができたら」

 一人一人の筋肉の力や関節の動きをセンサーが認識して、自動的に加減する。手指の曲げ伸ばしをサポートする手袋形のリハビリ機器だ。脳梗塞などの後遺症でリハビリが必要な大人の需要も見込める。

 16年8月に起業。事業計画は17年3月、静岡銀行と浜松信金のビジネスプランコンテストで最優秀賞に輝いた。すでにあるセンサーワイヤよりも極めて細く、感度と柔軟性が高いことや、幅広い用途が評価された。

 開発事業費は2億5千万円を見込み、21年の商品化を目指す。賞金や公的な補助で一部は賄えるが、大半は金融機関からの融資だ。

 塾の講師やセンサー開発のコンサルタントとして生計を立てながら、すでにセンサーワイヤの開発、販売を始めた。事業を軌道に乗せたら、できるだけ障害者も雇用するつもりだ。

 計画が行き詰まれば自宅まで失いかねないが、「このビジネスがうまくいくことで助かる人がいる」。サラリーマン時代には持ち合わせていなかった“使命感”が原動力だ。(つづく)
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家族の軌跡~ダウン症の次男との10年 (2)姉の決意 [時事]

「剛輝を守っていくために、人の2倍稼げる大人にならなければ」。高校3年の大村真由帆(18)は物心ついた時から、自分自身に言い聞かせてきた。「将来私に家族ができたとしても、剛輝が望むなら同居しよう」とも思っていた。父母が老いたら姉として、ダウン症の彼の面倒を見ていく義務があるのだから―。

 剛輝(10)が生まれた時から、率先して世話をした。泣けばそっと抱き寄せ、暗く涼しい所へ連れて行った。眉間のしわをさすると、不思議と泣きやんだ。「この子の面倒を見るのは、ママより私の方が得意」。自信があった。

 ところが“しっかり者”の真由帆は、小学5年から学校と習い事を休みがちになった。バレエやピアノなど、週に6日も習い事に通っていた。しかし、どれも自分の意思で始めたわけではなく、好きになれない。そんな時、クラスメートから無視されたり、陰口を言われたりするようになった。

 「習い事を辞めたい」「学校で嫌なことがあった」。母の由実(52)や教師に訴えたが、「気にしすぎよ」と受け入れられない。「何をしてもうまくいかないのは、私がおかしいからだ」と自分を責めた。

 家にいると悲しいことから解放される半面、この先の不安が押し寄せた。耐えきれずに泣きじゃくると、剛輝は頭をなで、サインペンで泣き顔の絵を描いてみせた。幼稚園から帰って来ると、「お姉ちゃんが家にいてラッキー」とばかりに喜んだ。無邪気な姿に救われた。

 一緒に過ごす時間が増えるにつれて、真由帆は自然と、着替えや歯磨き、箸の使い方を教えた。「弟が大人になって、うまく生きられるように。かわいがられるように」。伝え方につまずくと、ダウン症の育児本をめくった。「ごうちゃんは食べ方がきれいね」。弟が褒められると、自分も褒められたようでうれしかった。

 剛輝との時間に加え、母の由実ができる限り寄り添ったことも力となって、真由帆は自信を取り戻した。中学1年から不登校の生徒をサポートする教室へ通い、単位制の高校に入学した。

 「ボランティアをやると飯がうまいぞ」。教師の誘い文句に乗せられ、高校では週1回の活動にのめり込んだ。高齢者や障害のある子どもと交流し、被災地支援の街頭募金に立った。

 子どもとの交流にはとりわけ、剛輝の世話をした経験が生きた。一人一人の特性に応じた接し方を工夫することは、「生きがいと言えるぐらい楽しい」。作業療法士を目指し、来春には進学を控える。

 剛輝は小学4年になり、身の回りのことは上手にできるようになった。意思も主張する。今夏出掛けた家族旅行で、自分のそばを離れて心底楽しそうにはしゃぐ姿を目の当たりにして、真由帆はふと気付いた。「彼には彼の人生がある。私の役割は親の代わりになることではなく、楽しく生きる姉の姿を見せることではないか」

 2人で外出すれば、心ない視線や言葉を浴びることがある。彼がこの先、社会へ踏み出せば、いつかそれを受け止めて傷つく日が来るかもしれない。「障害があるからって、何も問題じゃない。お姉ちゃんの今があるのは剛輝のおかげ。だから剛輝も胸を張って、好きなように生きて」。これからは背中で示していくつもりだ。(つづく)
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