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家族の軌跡~ダウン症の次男との10年 (1)誕生 [時事]

浜松市北区の一家がダウン症の次男を授かって10年。名前は剛輝(ごうき)。「生まれたばかりの頃はこの子の未来を何一つ描けず、絶望感でいっぱいだった」。母の大村由実(52)は振り返る。剛輝は今春、浜松視覚特別支援学校から地元の公立小の特別支援学級に転校した。楽しそうに通学する息子を見守りながら、由実は思う。「彼の誕生は、家族にとって第2章の幕開けだった」

 2006年の暮れ、大村家は第3子の妊娠に沸いていた。当時41歳の由実と47歳の昌良夫妻は、自宅新築の最中だった。

 由実はもともと劇団員。小中学校や劇場を回って1人芝居をしていた。昌良は市民オペラ合唱団の団長で、本業は半導体開発エンジニア。昌良が由実の芝居を見に行き、知り合った。

 大きな家を建て、人が集えるホールも備える。それが2人の夢だった。由実が芝居のために集めていた絵本も並べて貸し出そうと、ホールの名前は「えほん文庫」と決めた。

 工事が始まる少し前、当時小学1年の長女真由帆と年少園児の長男晃央(あきひろ)は連れ立って、何度も「下の子が欲しい」とせがんだ。由実は真由帆を産む前、流産で3人の命を失っていた。それだけに、もう1人育てたい気持ちは強かった。「40歳を過ぎたので、3人目を授かるなら今かな」

 07年8月、剛輝が生まれた。「おぎゃー」と産声を上げるわが子の顔を見た瞬間、由実は「あれ?」と違和感を抱いた。なぜか分からないが、上の2人にはふつふつと湧いた「かわいい」という感情が湧かなかった。

 「ダウン症の疑いがある。染色体の異常で、心身に発達の遅れを伴うケースが多い」。4日後、医師から告げられた。

 昌良は、それが障害か病気かさえ分からなかった。「普通の子じゃないか。他の子と何も変わらない」と首をかしげた。医師はダウン症の顔の特徴などを挙げ、「家族の誰かに似てますか」と畳み掛けた。「似てますよ」。昌良はむっとした。これから本人や家族にどんな日々が待ち受けるのか。先の見えない不安がこみ上げた。

 由実は授乳室で、冷めた気持ちのままミルクを与えた。わが子をいとおしく思えない自分に嫌悪感が募った。ふと隣の赤ちゃんを見ると、誕生日も血液型も同じ。「この子が私の子だったら」。恐ろしい考えがよぎった。健常児を目にするのが耐えられず、看護師に「別の部屋で授乳させてほしい」と頼んだ。

 産前に病棟で言葉を交わしたママたちは皆、新生児を抱いて幸せそうだった。家族がにぎやかに笑う様子を、遠くから眺めた。別の世界に、突然放り込まれた感覚。がくぜんとした。

 1人落ち込む由実に対して、昌良は冷静さを取り戻していた。「問題が出たら、できる限りのことをやって乗り越えていく」。エンジニアという職業柄染みついていた考え方は、育児でも同じだった。残業を切り上げて、毎日午後8時には家に帰るようにした。インターネットで乳児の発達に良いとされることを調べ、何でも試した。

 一方の由実は、「障害児の母」になったことを受け入れられなかった。「障害があると不幸」。自らに根付いていた偏見を思い知った。「剛輝が生まれたのは何かの罰では」「家族に申し訳ないことをした」。自責の念に駆られる毎日だった。(つづく)
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アントニオ猪木の「訪朝」がバカにできない理由 [時事]

32回目の訪朝に旅立ったアントニオ猪木氏。ネットでは批判の声があふれているが、猪木氏は北朝鮮出身の力道山とともに、かの国の記念切手になったこともあるほど人気のある人物だ。むしろ、果敢に相手の懐に飛び込むやり方が、戦争回避に役立つかもしれない。(ノンフィクションライター 窪田順生)
オヤジギャグを言い放って訪朝へアントニオ猪木氏は愚か者か?
「包丁1本さらしに巻いて旅へ出る…という歌でしたが、32回目の訪朝をして参ります」――。
 参議院外交防衛委員会でそんなオヤジギャグを披露して、信じられないほどスベっていたアントニオ猪木氏が昨日、北朝鮮へ渡った。
 9月9日の建国記念日にまたミサイルを飛ばすのでは、という憶測が広がっている中での訪朝に、ネット上では「せっかく国際社会で圧力をかけようと呼びかけているのに足並みを乱すようなことをするな」とか「こんな時期に行ったら北朝鮮の思うように利用されてしまうのでは」というような批判的な声があふれている。
 たしかに、これまでも北朝鮮は日米韓が連携して圧力をかけると、個々の国に対話路線をちらつかせるという「分断工作」をおこなってきた。挑発から対話姿勢を見せて、圧力をかわしたい北朝鮮からすれば、32回もやってきている「親朝派」である猪木氏は利用価値が高いのは言うまでもない。
 菅義偉官房長官が「全ての国民に北朝鮮への渡航の自粛を要請している。この政府の方針を踏まえ、適切に対応すべきだ」と訪朝を見送るように求めたにもかかわらず、聞く耳を持たない猪木氏に対しては「政治家失格だ」というような厳しいバッシングも聞こえてくる。
 そのような意見はわからないでもないが、個人的には猪木氏の「訪朝」は言われているほど愚かな行為とは思えない。むしろ、一触即発という緊張関係が高まっている今だからこそ、猪木氏のような「北朝鮮と友好関係を築こう」という人の出番だと期待している。
湾岸戦争では日本人人質の救出も!プロレス外交の功績の数々
 若い人からすると、「元気ですかぁ!」と叫んでビンタをするおじさんのイメージが強いだろうが、実は猪木氏はプロレスラーとして世界的名声がある。それを生かして、普通の政治家がパイプをつくることさえできぬ国に乗り込んで「対話」をするという、「闘魂外交」をおこなってきた実績があるのだ。
 たとえば、昨年亡くなったキューバのフィデル・カストロ前議長と猪木氏は、1990年に会談をして以来交流を続けた。最初の会談時は、西側諸国の政治家と会うのは8年ぶりということで世界的にも大きなニュースとなった。
 昭和天皇が崩御した際、キューバは1週間、半旗を掲げ続けたという。日本は、キューバにとって敵対するアメリカの同盟国。かつ、遠い異国であるにもかかわらず、ここまで親しみを持ってくれたのは、政治家・アントニオ猪木の影響も少なからずあったことは言うでもない。
 湾岸戦争時は、イラクで日本人46人が人質となったのだが、その際にサダム・フセイン大統領(当時)と交渉をして、彼らを全員救出したのは外務省でも時の政府でもなく、猪木氏だった。
 なぜそんなことができたのかというと、猪木氏がイスラム世界では、日本人が想像している以上に人気があるからだ。
 イスラムの英雄、モハメド・アリと引き分けたということはもちろん、アクラム・ペールワンというパキスタンの国民的人気を誇る格闘家を「セメントマッチ」で倒したことも大きい。これをきっかけに猪木氏はパキスタン国王に祝福され、後に「猪木記念日」までつくられたのだ。
猪木氏イベントの視聴率は95%!?北朝鮮でも絶大な人気を誇る
 猪木人気は北朝鮮でも同様だ。北朝鮮が誇る故国のスター・力道山の愛弟子ということで猪木氏の好感度は高く、1995年には力道山とともに、記念切手になった。本当かどうか確かめようがないが、当時放送された猪木氏のプロレスイベント「平和の祭典」は、あちらでは視聴率95%だったという。
 そんなスターを、北朝鮮も手厚くもてなす。処刑された張成沢氏や、金永日氏など、トップクラスの人物が猪木氏と会食をしてきた。その人脈は各国も注目し、95年には韓国政府が対北コメ支援のメッセージを猪木氏に託したこともある。
 だが、猪木氏は、日本ではかなり冷ややかに見られているようだ。ご本人は、こう語っている。
「訪朝するたびに、外国の政府関係者から問い合わせがありますが、残念ながら日本政府からは何の接触もありません」(週刊朝日2014年1月31日)
 政治討論番組に出演して国家天下を論じたり、選挙区の駅前で「対話ガー」「圧力ガー」と喉を枯らしたりというのも議員の立派な仕事かもしれないが、猪木氏のように、とにかく相手の懐に飛び込んで対話をしてくる、という議員がいてもいいのではないか。
 ただ、このような「実績」もさることながら、筆者がこのタイミングでの猪木氏の「訪朝」に期待する最大の理由は、これまでよりも明らかに「バッシング」が増えてきているからだ。
 歴史を振り返ると、国全体が「戦争」という国威発揚イベントで興奮状態になっている時というのは、国民からバッシングされるくらいの行動をしている人の方が、実は戦争回避のために尽力をしている、というケースが圧倒的に多い。
戦前、愛国マスコミに叩かれても戦争回避に動いた朝河貫一
 たとえば、戦前の日本で初めてイェール大学の教授となった朝河貫一という歴史学者がいる。
 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会(国会事故調)の報告書に名前が出て一躍、注目を集めた人物なのでご存じの方も多いと思うが、日米開戦直前に、ルーズベルト米大統領から昭和天皇へ親書を送らせようと、当時の日本政府とは関係なく個人で奔走した人物である。
 自ら草案を書いて、友人で、ワシントンに顔がきくハーバード大学美術館のウォーナー東洋部長に託した。結局、朝河の草案がそのまま採用されることはなかったが、ルーズベルトは親書を天皇に送った。しかし、時すでに遅しで、届いたのは真珠湾攻撃の直前だった。
 そんな朝河を「朝日新聞」では「祖国が平和を諦めた中で、朝河は1人闘う」(2015年4月2日)なんて調子で、戦争回避のために単身働きかけたヒーローのように扱っているが、実は戦前は朝河を敵国のスパイのように扱っていた。
 日露戦争で勝利した日本では、ロシアからバンバン賠償金を取れ、朝鮮半島の権益をぶんどるべきだという世論があふれ返っていたが、朝河は、「日本は金や領土のためではなく、アジア解放という大義のために戦ったのだから、そんなものを要求してはならない」と説いてまわった。
 それを当時は「愛国マスコミ」の急先鋒だった「大阪朝日新聞」(1905年10月30日)が、いけすかない奴だとディスっている。横浜市立大学の矢吹晋名誉教授があるセミナーで、そのあたりの「悪口」の説明をされているので、引用させていただこう。
《「朝河貫一と呼べる人なり、此の人イェール大学を卒業し、目下、米国某学校に於いて東洋政治部の講師として聘せられ居るものなり。名刺にはドクトル及び教諭と記し、日本人に語るにも日本語を用いず、必ず英語を以てす。此の人、ポーツマスに来たり、日々ホテル・ウェントウォースに在りて、多くの白人に接し、頻りに平和條約の條件に就て説明をなしつつあり。英文にて記せる朝河貫一なる文字とその肩書きの立派なるよりほかは知らざる白人は…」との書き出しで、学校の講師で安月給のくせに、1日に5ドルのホテル代を払って、ここにいるのははなはだ疑わしい、誰の回し者だという書き方です》(日本海海戦100周年記念歴史セミナー「世界を変えた日露戦争」より 2005年5月28日)
 猪木氏が訪朝するたびに、「北朝鮮の手先か」とか「北朝鮮に媚びを売っている」といたるところでディスられているのと、ほとんど変わらないのではないだろうか。
猪木氏が批判されても訪朝を繰り返す理由
 猪木氏は、批判されても訪朝を繰り返す理由をこのように述べている。
「おれが言いたいのは、ドアを閉め切る外交というのが世界中どこにあるのかということです。話し合いもしないで、どうして解決するんですか(中略)制裁をかけたら『ごめんなさい』と言うほど、相手は甘くない」(週刊朝日2010年11月12日)
 もちろん、北朝鮮の核を認めてまずは話し合おうなんてのは論外だ。政府は強硬な姿勢をとるべきで、もし猪木氏が閣僚であれば、勝手なスタンドプレーは許されることではない。しかし、幸いというか、猪木氏は無所属議員に過ぎない。これまで長い時間をかけて培ってきた北朝鮮との信頼関係もある。そんな猪木ルートまで断絶して、話し合いの道をすべて閉ざすことで、この問題を解決できるとは思えない。
「朝日新聞」にディスられた朝河はくじけることなく、「反省ある愛国心」を説き続けた。
 中国大陸で権益を拡大する日本を批判。当初の志である清帝国の独立や領土保全、列国民の機会均等のために、さっさと中国から撤退すべきだと訴えた。そんな国益に反することを唱える人物が、日本に圧力をかける米国の大統領に働きかけ、畏れ多くも天皇へ親書を送ろうと奔走する。その時代の「愛国者」たちからすれば、大ヒンシュクもののスタンドプレーだったことは言うまでもない。
「アメリカの回し者」だと白い目で見られていた朝河が、70年経ってガラッと変わって英雄とされているように、猪木氏の訪朝もいつか評価される時代がくるのではないか。


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「ブレずにやり続けろ」 出川哲朗を支えた亡き母の教え [時事]

現在、バラエティ番組の世界で大人気となっているのが出川哲朗(53才)だ。『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)のほか5本レギュラー番組を抱え、冠番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京系)も4月にスタート。いまテレビ界では出川旋風が巻き起こっているのだ。

そんな出川の代名詞といえはやはり「リアクション芸」だろう。かつて、出川はあるインタビューで「笑いのためなら死んでもいいか」と問われ「現場で死ねたらいちばんいい」と答えている。
 実際、出川は1993年の『お笑いウルトラクイズ』第13回大会の決勝で死にかけている。車のボンネットに張りつけになり、大型バスに突っ込み、そのバスが爆発する企画で、出川が張りついた車が番組の演出と関係なく、事故で爆発したのだ。
 しかし、髪の毛が焼けこげて抜けるという大惨事の代償に大爆笑を誘い、これ以降、リアクション芸人としての地位を確立した。出川と親しいテレビ局関係者がそのスタンスを明かす。
「リアクション芸はおれが守る、とよく言っています。若いディレクターにも必ず敬語なんです。“年上のぼくが偉そうにしていたら、リアクション芸が生きる無茶な仕事はふれないでしょう?”というのがその理由です」
◆横浜の恥と呼ばれた哲朗が…
「70才になってもリアクション芸を続けたい」と言う一途な思いの背景には、出川にとって特別な存在である母の教えがあるという。
 横浜で実家の海苔問屋を継いだ出川の兄・出川雄一郎さんが話す。
「昔は店に哲朗のパネルを置いていると“横浜の恥”とボロクソに言われた。ところが去年くらいから“ファンです!”と若い女性がやって来るように。哲朗がやっていることは10年前から何も変わっていないのにね。
 母は芯の強い女性で私たち兄弟に“やりたいことはブレずにやり続けろ”と教育した。哲朗がお笑いをやりたいと言い出した時も、“本気で目指すなら一生懸命応援するから”と大きな気持ちで見守ってくれていました。それを哲朗は今も、守っているんだと思います」
 その母は6年前に他界した。雄一郎さんは天を見上げ、こう語った。
「生前も哲朗のことは自慢していたけれど、今生きていたら、もっと鼻高々だったんじゃないかな。哲朗には“やっとあんたに時代が追いついたね”と褒めるんじゃないかな」
※女性セブン2017年9月21日号

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溢れ出る人柄。真摯な姿。私はブレイクして当然だと思います。頑張って下さい心から応援しています。
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返信13
rws***** | 5時間前


まさにコメディアン。
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返信9
dor***** | 5時間前


いい記事だなぁ、特に最後は、泣けるね。

さんまさんとかが、出川さんをバカにした発言をした人に、マジギレで、出川は、一流と言った事を思い出した。

バイクの番組で、充電のお礼にその店の手伝いや、食事をご馳走になったら、皿洗いして返したり、お店なら、自ら呼び込みしたり、買ってくれた客には、握手や写真までやる人。

時代が出川さんに追いついたのかなぁ…他にいないしね。
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返信12
atpandam | 5時間前


常に真剣にやっていて人柄のよさが滲み出てるから人気があるのだと思う。
横柄な態度をとってるところを画面上ではあるが見たことがない。
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返信3
おぼんさん | 4時間前


出川さんのあの人柄の良さは、このお母さんから来たんですね。みんなから蔑まれても、息子を信じて応援し続けた母親。まさにビッグマザーだと思いました。




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